卑怯
あれから10年と言われる。
死者を悼む気持ちはあるけど、個人的な事に置き換えている自分がいる。
10年前のあの日
の、数ヶ月前。
私は人を亡くした。
とある本からの表現を借りれば、それはその人による「極端な選択」だった。
晴天の霹靂
何がどうだったとか今になると思い出せない部分もあるくらいの衝撃
だんだん、それが落ち着いてきた
矢先の、10年前のあの日
たくさんの人の命が失われていく
悲しいニュースが、エピソードが、TVから延々と流れ続ける
その人の死を悼むあまりなのか、或いは悲しいニュースに心が追いつかないのか、もうわからなかったが、当時は泣きながら実家の食卓を囲んでいた
ともすればその人の空白に耐えられず誰かが泣き出してしまうのでつけていたTVも、流れ続ける悲しさに逆に耐えられなくなって消したこともあった
あれから10年
と言われるたび、あの時流れたニュースを、悲しいエピソードを思い出す
でもそれ以上に、私はその人の不在から10年経ったのだと思ってしまう
個人的な出来事によって10年を感じている自分は、どこか卑怯だと思ってしまう
何故なのかはわからないけれど